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スタッフはみんな障害者「行列のできるフランス料理店」の秘密彼らは「働かされている」のではない

スタッフはみんな障害者「行列のできるフランス料理店」の秘密 彼らは「働かされている」のではない

写真=iStock.com/Boris_Kuznets※写真はイメージです

京都府舞鶴市に、行列のできるフランス料理店がある。おもてなしをするのは、体や精神に何らかの障害を抱えているスタッフたちだ。放送作家の姫路まさのり氏が人気の秘密に迫った——。(第2回/全3回)

※本稿は、姫路まさのり『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)の一部を再編集したものです。なお緊急事態宣言を受け、記事公開日現在、店舗は5月7日まで休業の予定です。

オープン初日から連日連夜の満員に

いよいよ迎えた2002年4月26日、オープン初日。

この日のために、職員・スタッフ全員で幾度となく研修を重ねた。準備は万端! のはず。それでも堂々巡りの不安は尽きず、想像のつく限りの、あらゆるシミュレーションを繰り返し、徹夜に徹夜がまたがり、気付けば数時間後にオープンを迎えるという明け方……ふと窓を見上げると、一日を道連れに燃え尽きた太陽入れ替わりと、朝もやの西の空に大きな満月が浮かんでいた。

京都府舞鶴市にあるフランス料理店「ほのぼの屋」の支配人・西澤心(55)はその月の光を浴びながら、これまでの日々を思った。

「みんな頑張った。できる限りの事はしたつもりだ。しかし、それでも、お客さんが来てくれるとは限らない。来てくれるのだろうか……いや、きっと来てくれる! きっとうまくいく!」

閑寂な夜空にポツンと一人ぼっちでいながら、世界中を照らすように雄大に輝く満月と、自分達とを重ね合わせるように希った。

満月への願いが通じたのか、説明会が宣伝代わりとなって、初日から連日連夜の満員、長蛇の列となった。店を開くと同時にその日の予約が埋まってしまい、行列の車に謝るのが一番の仕事になったほどだ。

常に予約は数カ月先までビッシリで「当時は何をしていたのか本当に覚えていません」と西澤は回顧する。お客さんを迎えるのにてんてこまいで、ディナーの片づけが終われば夜中の24時。翌日の段取りをして深夜2時、3時。それからまた、朝まだきに家を出てレストランへ向かう……日めくりカレンダーを二枚三枚と続けて破るように、恐ろしいほどの早さで毎日が過ぎ去っていった。

「生まれて初めて自分の仕事に誇りが持てている」

そして、オープンから1年が過ぎようとしていたある夜……嵐のような毎日で精根尽き果てる中、知的障害を抱えるスタッフが、ふとこう呟いた。

「今まで色んな仕事をしてきたけど、生まれて初めて自分の仕事に誇りが持てている」

その言葉を聞き、西澤は喜びと共に悔しさも滲んだという。

「ほのぼの屋を作って来て、一緒に働いて来て本当に良かったと思えた言葉でもあったのですが、同時にそれは、今までしてきた仕事は誇りが持ててなかった事を意味するのだとも気付いたのです。じゃあ、それまで誇りが持てなかった要因は、何だったのだろうかと……。給料も今と変わらないくらいの額を払っていた。毎日、楽しそうに仕事をしていたようにも感じていたのですが」

彼らの中で違っていたのは「働いている」と「働かされている」という、似て非なる感覚だった。

職員である西澤は、障害のある人の働く環境を支えるのが自分達の仕事だと思っていたが、開業以来忙殺される日々に、彼らに対し最低限の配慮しかできなかった。

しかし、それが得てして良い結果をもたらした。

援助が行き届かないがゆえに、彼らは自分達で考える事を始めたのだ。

「指示がないけど、今、何をしたらいいのだろう?」、作業が終われば、「次に何をすべきなのだろう?」と、それぞれのペースでできる事を突き詰めるうちに、彼ら自身が主体的労働者へと変わっていったのだった。

「怒られないように」から「お客様の笑顔が見たい」へ

一番近くで見続けて来た西澤は、その変化をこう分析する。

「よくよく振り返ってみると、今まで彼らに提供していた仕事は、彼らにとっては、させられている仕事、あてがわれている仕事だったのかも知れません。それが、ほのぼの屋で働き出して、誇りが持てる主体的な労働へと変化したのだと思います」

やがて「ミスをしない」「そつなく仕事をする」「怒られないようにする」という思考ではなく、「お客様に喜んでもらいたい」「お客様の笑顔が見たい」と、自分たちが感じる仕事の意味さえも見出していった。そして気がつけば、誰しもがなくてはならぬ戦力、つまり労働力へと昇華していったのだ。

これは、障害の有無にかかわらず、働き始めた頃に誰もが触れる大切な感情である。悠揚として迫らざる障がい者は、仕事を覚えることに加えて、そういった自己認識を抱くのにも、少し時間がかかるのかもしれない。しかし丁寧にゆっくりと働き、学んでいけば、いつかは誰でも、必ずそうした思いが芽生えるのではないだろうか。

『働』という文字は国字、つまり日本で作られた文字である。「人」と「動」が組み合わさってできた言葉は、「人の為に動くこと」、それこそが「働くこと」であると示しているように感じる。人間は一人では生きられない。人の為に動く事で周りに役立つ幸せを感じてこそ、明日も頑張れる。そんな「働く意味」を提示しているのだと身につまされる。

トゥレット症候群をもつ裏方の六田さん

「グラスの向こうに、お客さんの笑顔が見えるんです」

六田ろくた宏さん(35)は、一つ一つのグラスを布巾で丹念に磨きながら、真剣な眼差しで語り始めた。

「高いお金を払って来てもらうのだから、グラスには指紋一つ残せません。裏方の仕事は気を抜くと、すぐに表に出てしまいますから」

2002年の立ち上げから、ずっとほのぼの屋を守り続けている、裏方の要とも言える人物だ。

生まれも育ちも舞鶴という六田は、14歳の時にトゥレット症候群を発症。トゥレット症候群とはチック症が慢性化・重症化したものを指す。目をパチパチ動かしたり、大声を発するなどのチック症が慢性的に続くと、トゥレット症候群と呼ばれるのだ。神経の発達症に含まれ、強迫性障害や多動性障害などを併存する人もいる難病である。彼もまたその症状に悩み、高校を中退。そのまま、自宅に引きこもる時期が続き、18歳で京都の病院に入院した。薬を飲んでも良くならず、苦しい日々の連続だったという。

精神障がい者には、精神的・身体的な不調の波が続き、地域保健所などが開くデイケア施設に通う人も多い。服薬だけでなく、ケースワーカーへの相談という二本立ての診療で、精神的不安と向き合うのだ。そうして、一日を通して仕事に参加できる体力と安定性を身につけ、就労へとステップアップしていく。

食器の整理、アイロンがけに店内清掃と大忙し

六田自身も、精神医療に関する基幹施設でもあった舞鶴医療センターの精神科が開設したデイケア施設に通所していた。そこで「レストラン開業、スタッフ募集」という張り紙を見て、ほのぼの屋の存在を知る。その出会いを、「土日も営業すると書いてあったけど、正直、こんな働くとは思ってなかったです」と、笑いながら振り返る。

実際問題、働きだした途端に嵐のような生活に突入した。ランチスタートは11時半でも、並んでいる客は13時半にようやく店に入れるかどうかだったと言う。

「その時は、どうやったら機嫌よくお客さんに帰ってもらえるかばかり考えていました。今は逆にどうやったら機嫌よく来てもらえるかを考えてます」

主な仕事は、バックヤードも含む裏方作業全般だ。グラスや食器の整理、制服やクロスのアイロンがけ、店内清掃、予約客のテーブルスタンバイ、時にパーティの余興準備も行う。中でもグラスは、全て手作業で磨きあげ、一つ一つ、明かりにかざして曇りがないかを全ての角度から確認する。

「自分の仕事は裏方で、直接は見えないかもしれないけれど、制服のアイロンがけでも、シワがあれば、それはお客さんに見えてしまう。そういう事を意識するようになってから、やりがいが強くなっています」

当たり前の事を続ければ、いつか特別な事として認められる

彼もまた、怒濤のような日々に揉まれる中、自身のやりがいを見つけた一人なのだ。そして、開業から10年を迎えたある日、お客様からこんな言葉を聞かされたという。

「10年も経つのに、ここのお店のグラスにはホコリ一つないね」

その言葉に対して、六田は破顔一笑した。

「お客さんの言葉が何より嬉しいんです。実際、昔より今の方が、きっちりと念入りに作業するようになっていますね。こだわり? というか、他のお店がやっている、やっていないとかではなく、ほのぼの屋ではこれが当たり前なんです。当たり前の事をずっと続ければ、ようやく当たり前じゃなくて、それが特別な事として認められるんかなぁと感じています」

ほのぼの屋の当たり前なる特別は、グラスだけでなく細部に宿る。例えば、テーブルにかけるクロスにしても同じだ。

「たまにシワがあるクロスが混じっているとよけるんです。でも、代わりが無くて、仕方無くシワがあっても敷かないといけない時があると、閉店までずっと申し訳ない気持ちが消えない。そういう所が完全に無くなれば、直接はどうかわからないけど、お客さまももっと増えてくると信じて頑張っています」

意味を見据えて働く彼らこそプロフェッショナルだ

そんな彼らの仕事ぶりを見続けて来た支配人の西澤は、こんな言葉で仕事ぶりを評価する。

「自分たちの仕事の向こうに何があるかを、その目的や、意味をも見据えて働く彼らこそ、プロフェッショナルだと誇りに感じています」

プロ意識が浸透したほのぼの屋で、誰に話を聞いても出てくるのが「お客さん」という言葉だった。六田も同様に、働く事に関して第一に捉えているのは、何よりもお客さんだと力説する。

「どんな仕事でもそうですけど、接客というと、やっぱりお客さん相手。お客様に満足してもらわないとお店が続かない。お客様に満足してもらう事、それが僕にとって、働くということです」

単純作業から脱却し、仕事の品質を上げるには、自分の仕事の重要性の認識が何より求められる。そして給料は会社からではなく、お客さんから貰っているのだという、私たちも忘れがちな心構えを教えられた気がした。

職場では兄貴分、家では3児の父

今ではそんな彼を頼りに、取材中も他のスタッフが「六田さん、ランチのテーブルどうしましょう?」「掃除機、どこ、かけときましょう?」とひっきりなしにききに来る。今や良き兄貴分となった。

「みんなで呑みにいったり、アホな話をしたりもしますよ。でも、真剣な事を伝える事もあります。ほのぼの屋は……なんだろう、自分が成長できる場かなぁ。ここで、一番成長したのは自分自身だと思います」

誰しも自分の心の中で育てている個性的な能力や長所が必ず存在する。それらを世に問うかの如く発揮するチャンスは、働くプロセスを通して、誰にでも平等に与えられるべきである。自分の体力や集中力がどれくらいかを知る経験、不安や緊張を乗り越える経験。そんな経験という宝物を積み重ねてこそ、人生の選択の可能性を広げる事に繋がるのではないだろうか?

六田は、2008年に同じくほのぼの屋で働いていた女性と結婚した。中学校1年の長男、小学校6年の次男、小学校2年の長女と、3人の子どもの父親だ。家族も、父の働く姿を見によく店にやってくるという。

「子どもの好きな教科がね、僕や嫁さんと正反対なんですよ。歴史大好きで、お年玉をあげたら、次男は織田信長、長男は戦国武将の分厚い本を買ってましたから。子どもに勉強の事を聞かれてもすっかり忘れてるし……困ったもんです」

と、照れくさそうにしながらも親バカ自慢を忘れない彼は、一家を支える大黒柱として、給料についてこう明かしてくれた。

嫁さんに「小遣い使いすぎ!」と怒られることも

「お給料は、今は一日5時間ほどしか働けていないので、月に13万円くらいです。プラス障害年金などが加算されて月に20万円ほどかな。家計はカツカツで、嫁さんに小遣い使い過ぎ! って怒られる事もたまにありますよ」

世のサラリーマンと同じく小遣い制の辛さに悲哀を滲ませながら、同時に、同じように障害を抱えながら働く人たちの現状については、疑問を投げかけた。

「全国の作業所の半分くらいが工賃って言い方ですけど、1万円って現実は聞いていますし、自分は多い方です。金額が全てではないですけど。例えば、今の仕事で給料3万円とかやったら、ぶっちゃけ、え? って思いますよ! 仮に、仮にですよ、今よりも給料が多くもらえるとなれば、もっと頑張るかもしれないですし、半分に減らしますって言われたら、それはちょっと……と思うかもしれない。やっぱり、子どもも小さいですから」

働く人間として当たり前の主張であり、また大黒柱として当たり前の所感だろう。

ほのぼの屋をもっとよくしていきたい

作業所は、障がい者の就労を行政だけに任せても解決にはつながらないと、当事者自身や家族が瀬戸際から立ちあげた、世界に誇るべき日本独特の福祉体制だ。大切なのはそれが自立支援の理念に則っているかどうかであり、露骨な成果主義や定員拡大を求めていくべきだとは思わない。実際、一つ一つの作業所の実態はバラエティに富み、柔軟性や自由性を併せ持っている。だからこそ、これからの障がい者福祉サービスは、利用者に選ばれる事で、より成長する可能性を秘めているのではないだろうか。

六田は、現在の自分が置かれている立場をよしとしながら、給料を受け取る日々の繰り返しにより、やりがい自体が変わってきたという。

「給料が増えるにつれて、より良い仕事の為に何をすべきかを考えるようになれました。今ではお客さんの『ありがとう』のために働いていると実感できます。裏方ですけど、自分のした仕事が直接お客様にも見えるという意識を、みんなが感じて、仕事してもらえるよう頑張っていきたい。口で言う事は簡単で、軽くなってしまうので、むしろ感じてほしい。あとは、ずっとここで働きたいと想っています。何よりも、ほのぼの屋をもっと良くしていきたいです。もしかすると、そういう気持ちを持てたのが、ここに入った頃と今とで、一番違う部分かもしれませんね」

わが子は「社会の役に立つような人になってくれれば」

そして六田はポツリポツリと、問わず語りに、自分の弟が白血病だったという身の上話を始めた。長らく大学病院で治療をしており、両親は、六田が多感な時期に、弟につきっきりにならざるを得ない状態だった。

「そりゃあ親も、兄である僕の事を絶対、気にかけてくれていたとは思うけど、弟につきっきりでした……正直、もっと見てほしかったかな。でも、僕も親になって、今は両親の気持ちがわかるようになってきた」

両親との関係が良好と言えない期間もあった。しかし、子どもを授かり、家庭を支える親という立場になれたからこそ辿りついたのが、自分の親への感謝の境地だった。

最後に、愛する我が子の将来について尋ねると、「う~ん」と唸り声をあげて熟考した。そして前を向き直して、こう発した。

「うん! 社会の役に立つような人になってくれれば、それでいいです」

六田のその眼は、自身が歩んできた道のりから続く、我が子の将来を真っ直ぐに見晴るかしていた。

子どもの“未熟な日々”は、成長と共にあっという間に過ぎ去って行く。そして気付けば、あの未熟な日々こそが何よりも輝いていたように感じる瞬間が、いつしか訪れる。


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