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貧困の多くは「脳のトラブル」に起因している 「見えない苦しみ」ほど過酷なものはない

うつの人

筆者の鈴木大介氏は、なぜ、外出する際にガマグチを首から下げているのだろうか(筆者撮影)

前回記事(「ズルい生活保護者」には働けないワケがある)では、貧乏から貧困に転落してしまう人には3つの無縁(家族との無縁、地域との無縁、制度との無援)と3つの障害(知的障害、発達障害、精神障害)という共通点があることに触れた。今回は筆者の闘病経験から、「高次脳機能障害者」と貧困者の類似点について言及したい。

人間には、外見でパッと見てわかるケガや病気や痛みとは別に、見えない痛みや苦しみが存在する。その不可視な苦しみこそが、実は貧困者への差別や無理解の根源なのではないのか。

前回はそんな推論を提示したが、貧困問題にかかわるルポをずっとやっていながら、僕自身がこの推論を確信にまで高めたのは、ほんの1年前にすぎない。それに近しいような提言をしながら、実際、その当事者がどんな思いでどんな痛みを味わっているのか、そしてその不可視度がどれほど高いのかを。僕はまるでわかっていなかった。猛省を込めてここに書き記しておきたい。

なぜ首から下げるガマグチがお守りなのか?

私事になるが、ここ半年以上、僕は外出をする際に、必ず首からヒモで下げられるようになっているガマグチ財布を持ち歩いている。別に妙なファッションにハマってしまったわけではない。このガマグチは、昨年初夏に僕自身が脳梗塞で倒れてからの、お守りだ。

なぜ首から下げるガマグチがお守りなのか? 詳しい経緯などは先日出版させていただいた闘病記である拙著『脳が壊れた』(新潮新書)に書いたが、端的に言えば脳梗塞によって軽い高次脳機能障害となってしまった僕は、買い物先のレジでの支払いができなくなってしまったからだ。

高次脳機能障害とは、脳細胞が外的ダメージや虚血(血流が悪くなること)によって壊死してしまった結果から起きる障害で、身体のマヒなどとは別に、知覚、記憶、学習、思考、判断などの認知や情動などにトラブルが起きることを言う。

僕の場合、注意欠陥や情緒の抑制困難(脳梗塞を起こした右脳には感情の抑制をつかさどる部位があり、そこにダメージがあった)、そして初期は極度の集中力低下という症状が出た。

結果、できなくなってしまったさまざまなことのひとつが、レジでの支払いだ。指の動きにもマヒはあったが、それ以前に極度に低下してしまっていた集中力と認知能力で、小銭を数枚数えると何枚数えたかわからなくなり、端数をどのように出すかを考えられない。加えて感情の抑制もできないから、レジ前の店員のいらだつ顔や後ろに並ぶ人の気配にパニックを起こしてしまう始末。

そこでガマグチである。これならば、もう自分でカネを数えるのをあきらめて店員に財布を差し出して数えてもらえばいいし、札で出してお釣りを財布に戻してもらってもいい。リハビリを経て現在ではほぼ社会復帰できているが、今でもガマグチをお守りとして持ち歩いている。

それなりに地獄のような苦しさを伴う経験だったが、この脳梗塞発症は、僕にとっては本当に僥倖(ぎょうこう)だった。なぜならば、この小銭が出せなかったりレジ前でパニックや感情の爆発を起こしてしまうという人たちを、僕はそれまでの貧困者や面倒くさい人たちの取材の中で、何度も見てきたからだった。

話すことの順序が立てられず、声が出ない

高次脳機能障害になった僕の行動は、そして訴える苦しさの内容は、驚くほどに彼ら彼女らに酷似していた。僕を襲った症状は、いわば「貧困当事者あるある大事典」みたいなものだった。

心の中がつねに何かでいっぱいで、何を見ても号泣してしまう発作。発作の後に訪れる、身体を縦にしていることもまぶたを開けていることも困難な極度の疲労感や虚脱感、猛烈な睡魔。

人に何かを合理的に説明しようとしても、何から話せばいいのかの順序が立てられず、声が出ない。出ない声にまごまごしているうちに、相手に言葉をかぶせられて、焦りといらだちと情けなさと悲しさがごっちゃになった、もう意味のわからないパニックになってしまう。

長文を読むと3行で睡魔が襲ってくるし、漫画を読もうにもそのセリフ、そのコマの次にどこを読めばいいのかわからなくなる。

理由のない不安の発作が始まると、サランラップで全身をぐるぐる巻きにされたように息が詰まり、窒息しそうな苦しみから逃れられない。それが不安なのかもわからない。

こんな僕の症状は、僕がこれまでの貧困者取材の中でさんざん聞き取ってきたものだった。

リハビリや妻と友人の支えで、この苦しさは徐々に緩和されはした。が、僕のデジカメの中に、入院中の僕が自分自身を写した1枚の写真がある。幸い下肢にマヒの出なかった僕は、入院中から再発予防と減量のためのウォーキングを始めていたのだが、病院のガラス窓に映る自分を写したその写真の僕は、おそらく誰もが「健康体」と太鼓判を押しそうな姿だ。

お気に入りのモントレイルのジョギングシューズに、短パンとパーカーのセットアップ。ジョギングキャップをかぶった顔は健康的に日焼けしていて、駄目押しに無駄に鍛えた足で片足ひざ抱えのバランス姿勢まで取っている。

だがこの健康優良そのものの僕の当事者認識は、じっとしていれば呼吸困難になりそうな閉塞感や理由のない焦燥感にさいなまれ、ウォーキングしながら聞くラジオに流れる曲にいちいち大粒の涙を流し、話そうにも言葉にならず、むしろ言葉がつらいなら一生黙っていようかと思うようなこともある、そんな状態だったのだ。

フリーのルポライターという稼業で、預貯金もしてきて、支えてくれる周囲がいたからこそ僕は復帰できた。だが、およそ世の中にある多くの仕事についていたら、僕はまだまだ社会復帰できていないだろうし、支えと準備がなかったら確実に自身が貧困者になっていたことだと思う。どう見ても健常者の外見だったにもかかわらずだ。

だが、なぜ脳梗塞になった僕の当事者認識が、貧困者取材での聞き取りとここまで符合したのだろう。ここにいくつかの推論を立てることができる。


第1の推論は、そもそも精神疾患にせよ脳外傷にせよ発達障害にせよ、それらのボーダーラインにせよ、理由はどうあれ脳に何らかのトラブルを抱えた当事者の認識や苦しさには、共通性があるのではないかということ。僕の場合は脳梗塞を原因として右脳の神経細胞の一部が壊死したが、原因を問わず脳がダメージを負った結果には共通性があるのではないかということだ。

ちなみにそうした彼ら彼女らを、僕はこれまで「面倒くさそうに見えるけど、実際は精神疾患や発達障害のボーダーにあるっぽい人たち」みたいなあいまいなくくりで著作に表現してきた。さらにこれまたあいまいに彼らの苦しみが不過視化しているなどと偉そうに書いてきたが、本当になんという知ったかぶり野郎かと、過去の自分を罵倒したくなる。

なぜならば、そもそもその見えない苦しみというものが、これほどまでに過酷であることを、僕は知らなかったからだ。こんな苦しみが緩和されずに、痛みを緩和してくれる支援者もなく孤独の中でずっと何年も続くなら、僕は間違いなく自殺の道を選んだと思うし、実際、脳梗塞後の高次脳機能障害者の自殺率は残酷なほど有意に上昇する事実がある。

第2の推論というか提議は、ボーダーラインにせよ診断できるものにせよ、「障害が先か貧困が先か」である。

ひとりの元売春少女の事例を出したい。また売春かと言われそうだが、売春の当事者取材が専門の記者なのだからご容赦いただきたい。

援デリに所属して3カ月で経営側に

2007年時点で17歳だったハモちゃんは、東京近郊で活動する未成年援デリの「経営者」だった。福岡県出身の母子家庭育ち。母親の彼氏の暴力が嫌で16歳の冬に家出し、福岡市天神で道端の男に身体を売ったカネで名古屋に行き、名古屋のスカウトマン経由で東京近郊の援デリ業者につながるという、複雑ながらも家出援デリ少女にありがちな遍歴の持ち主だった。

上京後に所属した援デリで、所属からたった3カ月で経営側に駆け上がれた理由は、ハモちゃん自身が読者モデルばりに容姿がよかったことでも、所属した援デリ部隊の打ち子(売春のキャスティングスタッフ)の彼女になったからでもなく、めちゃめちゃ切れるその頭脳が要因だったように思う。

売春当事者だった少女が経営側に回るとよくやるのが、月イチの性病検査のカネを部隊から出そうとか、レギュラーの子には生理休暇中の保証料を出そうとか、働く少女側の待遇改善を主軸にした内部改革なのだが、ハモちゃんの場合はそれが徹底していた。

ハモちゃんは、6人の家出少女仲間を統括する経営者となったが、ケツモチの本部(当時の援デリはこうした小さなユニットをいくつか抱えた本部業者がいることがあった)に上げるカネを週に最低○万円という固定額にすることを本部に交渉した。実際はその交渉は通らなかったのだが、次は売春の現場に立つ6人の日給を一律化することにした。つまり、容姿的に劣ってあまり稼げない子と、稼げる子の日当を同じにしてあげたのだ。

「だって稼げない子が逆恨みしてK(警察)にちんころ(通報)したら困るじゃん。保険だよ」

などと言っていたが、本来、稼げるはずの子からの文句を封じるために、ハモちゃんは自分の取り分を削ってこっそり渡すということまでしていた。

そして遅刻や無断欠勤など当たり前のこの業界で、ハモちゃんは無断欠勤者からペナルティを取ったり追い込みをかけて詰めるのではなく、まったく逆の方針で、出勤しているみんなから少しずつおカネを出し合って休業補償をするということまでした。もちろん大半はハモちゃんが自腹で払う。

これ以上書くと狭い業界で個人が特定できてしまうので控えるが、ちょっと空気が読めなくてすぐに暴力で解決する傾向はあったものの、その仲間思いで潔い自己犠牲にハモちゃん人気は急上昇。結果としてハモちゃんのグループは急成長し、枝の分家部隊を神奈川方面にも出すということになった。

2007年夏には上部の本部業者が摘発をくらって傘下の全部隊が逃散ということになったが、その後、ハモちゃんは18歳で福岡中洲の風俗嬢でデビューし、所属している店のホームページでフォトショップ加工なしでトップ画像になったとうれしそうに報告してきたりもしたものだ。

別人になってしまったハモちゃん

そんなハモちゃんから「なんか取材してほしい、ギャラ立てて」と連絡があったのは、震災の前年だから3年ぶりということになる。だけど、待ち合わせた横浜駅付近に彼女が現れたのは、約束の時間から3時間も経ってからだった。こうした取材では当たり前のことだが、ハモちゃんに限っては約束の時間は絶対に守る子だったので、なにか事故でもあったのではとやきもきしながら待った。

そして現れたハモちゃんは、あの利発で男前だった彼女とは別人になってしまっていた。

体形は少々丸っこくなった気はするが、容姿は相変わらず読モ級。だが、メイクがめちゃくちゃにズレているし、表情は弛緩ぎみで、反応がむちゃくちゃ鈍い。歩く姿は、歩幅が妙に小さくて、もつれがちだ。

「ハモちゃん、大丈夫? 聞いたら悪いかもなんだけど、なんか変なネタ食って(薬物を摂取して)ない?」

と聞くと、5秒ぐらい間をおいて「ひどくね? あたしそういうの嫌いなの鈴木さん知ってんでしょ?」。

そうだった。ハモちゃんが援デリの経営者だったときに、客の買春男から大麻を買った子に行き過ぎた鉄拳制裁を加えた話を聞いたことがあった。ならば、精神を病んで精神系の処方薬でも飲んでいるのだろうか? 弛緩した表情ながら必死ににらみつけようとするハモちゃんの顔は異様に歪んで不自然で、その目尻には涙が浮かんでいた。

ファミレスに入り、事情を聞いた。カネに困っているらしい。中洲で風俗デビューしたというハモちゃんは、その年のうちに付き合っていた彼氏とデキ婚するも、相手の男が壮絶なDV男だった。骨折をするケガを1回。さらに男が勤めていた仕事をクビになると、まだお腹の子供の安定期にも入っていないにもかかわらずに売春の客をつけられた。

中絶手術ができる時期はとっくに過ぎていたが、売春を続けていれば流産するかもしれないと思ったこともあった。絶対に頼りたくはなかった実家の母に電話をしたら、戻って来いと言われて救われた。これが臨月。

だが実家に戻るも母との関係がよくなるわけでもなく、大きなお腹で殴り合いの取っ組み合いになったりもした。幸い母親は暴力彼氏とは別れて独り身だったが、このあたりからハモちゃんの記憶は飛び飛びで、説明もいまいち要領を得ていなくて、正確に起こった出来事を聞き取ることはできなかった。

「それから子供はどうしたの?」

「1回はお母ちゃんに取られた。お母ちゃんが育てるからあたしは出て行って働いてカネだけ送金しろって言われて、それで中洲に戻ってやっぱ風俗」

「それがなんで、今、横浜なの?」

「先月、お母ちゃんの家から子供さらって来て、それで今横浜のお店でお世話になってる。寮あって、託児ある店だから。でも子供は年中熱出すし、欠勤多いなら寮出ていけって言われるし」

15分で済む内容を4時間かかった

話の内容をまとめて話せば15分ほどで済んだ内容だったが、ハモちゃんがこれだけのことを僕に伝えるのには、実に4時間以上かかった。その姿は、あまりにもかつてのハモちゃんとは別人すぎた。話しながら嗚咽が止まらなくなったり、母親に対する呪詛の言葉の発作にハマってしまって顔を真っ赤にしてぶつぶつ言い続けたり、ふとしばらく黙ってうつむいているなと思えばクークーと寝息を立てて熟睡モード。

ドリンクバーの前で盛大にグラスを落として割ったり、ハアハアと息が荒くなって「無理ちょっとつらい」と言ってファミレスのシートに寝転んで「無理無理無理無理」とつぶやきながら衆目など意に介さず服をたくし上げて腹をかきむしる。

今の急場さえしのげば、昔のように出会い系サイトで客を引き、太い客の愛人にでもなってなんとか再起を図れるとハモちゃんは言った。横浜の風俗の客も何人か裏引き(店を通さずに直接客と売春すること)しているというから、退寮を迫られている理由はそれがバレているからかもしれない。

それにしても、本当にこれがあのハモちゃんと同一人物なのだろうか? 援デリ経営者時代、僕はハモちゃんは「勝ち抜け組」だと思っていた。この容姿と利発さがあれば、どんな道でもやっていける。僕の取材する売春からも抜け出せない貧困少女たちとは別格なのだと思っていた。

どうしてこうなったのだろう。聞けば福岡時代に精神科にかかっていて、処方された薬を服用していたが、横浜に来てからは病院にはかかっていないし、服薬もしていないという。だがこの取材当時の僕は、まず処方系の精神薬の強い副作用ではないかなどと疑ったりもした。

結局、ハモちゃんは、この日を境に連絡が取れなくなってしまった。

たった数年で、別人になってしまったハモちゃん。こうやって彼女を思い起こしているだけで、僕自身が少しパニックを起こしそうになる。わかってあげられなかった慙愧(ざんき)に、わが身を切り刻みたくなる。

ハモちゃんどんなにつらかったんだろう。無神経にトラウマをほじくり返して聞く僕に、たった数万円の取材謝礼のために、どれほど耐えて、あんなにも混乱しつつ、つらい記憶を話してくれたのだろう。

ようやくわかった。見えない心の痛みというものが、これほどまでに具体的で、外傷などと同様に、もしくはそれ以上の痛みを人にもたらすものだということを、僕は自身が病気になるまでまったく想像できなかったのだ。

懺悔は尽きぬ。けれどここで書きたいのは、「過酷な経験は人の脳を壊す」「貧困もまた脳を壊す」「壊れた結果、人は貧困から抜け出せなくなる」という確信だ。

なぜ、高次脳機能障害になったときの僕と貧困者がそれほどまでに符合したのか。それは、たとえば貧困状態にある人たちが、毎日、将来の不安におびえ、各種支払いに追い込まれ、強いプレッシャーとストレスの下にさらされた結果、脳の機能、特に認知面などに大きなトラブルを抱えてしまうからなのではないか。

貧困状態以外でも、たとえば暴力や暴言などの被害、または災害やそのほかの大きな心理的ショックによるPTSDもまた、高次脳機能障害同様の認知のゆがみや集中力、判断力の低下を呼び、結果として貧困に陥るというケースがあるのではないか。PTSDは「心的外傷後ストレス障害」だということは僕のようなアホでも知っているが、心的「外傷」ならば、そこに痛みを伴う。心的などというと混乱するが、それはむしろ「脳的外傷後ストレス障害」に置き換えられるものなのではないか。それは見えない激痛なのだ。

エビデンスは医学者に譲りたいが、当事者的にはこれは推論ではなく確信だ。拙著『最貧困シングルマザー』(朝日新聞出版・単行本原題『出会い系のシングルマザーたち』)で僕は出会い系サイトで売春することで生計の足しにしているシングルマザーという、極端な隘路に迷い込んだ女性たちを取材したが、彼女らは目も覆いたくなるような貧困状態にありつつ、ほぼ精神科通院中か通院歴があり、そしてやはりほぼ全員がDVを主因とした離婚の経験者だった。

なぜ貧困売春シングルマザーが、全員DV経験者だったのか? 当時の僕は彼女ら自身のパーソナリティの共通性などに答えを求めようとしたが、今ならわかる。彼女らはDVサバイバーだったから、その過酷な経験の中で心(脳)にトラブルを抱えた結果として、貧困に陥り、さらに貧困の中のストレスでその傷をこじらせて抜け出せなくなってしまっていたのだ。

ならばDVサバイバーという言葉にだって問題がある。サバイバーとは「生き抜いてきた」者という印象があるが、直接的な被害は離婚によって終わったとしても、彼女たちはその後の心の見えない痛みと戦い、苦しみ、その傷が癒えないかぎりずっとサバイブ中なのだ。

あのときのハモちゃんも、DV男から逃れた後の苦しみと戦い続けていた真っ最中だったのだ。

貧困状態の継続は、脳のトラブルを悪化させる

結論は、脳のトラブルの結果として陥る貧困というものがあること。そして貧困状態の継続は、その脳のトラブルを悪化させるということ。そしてそうした当事者の痛みや苦しみは、見えない、理解が非常に難しい(自身が当事者になってみるまでわからない)ということだ。

思い起こせば起こすほど、貧困の当事者取材で受けた印象のあらゆることが、腑に落ちてくる。なるほどこれは貧困者の働けない理由なんか不可視も不可視で当然だ。返す返すも、こんな確信に至るにあたって、僕自身が脳梗塞でぶっ倒れたことは僥倖だったと思うのだ。


以上ですが、如何でしたでしょうか?

これを見て、自分も他人事ではないなと思いました。一度普通から落ちると普通に戻るのは大変だし、シングルマザーで貧困で子供を育てるというのは本当に大変な事だと思います。私が当事者であったら間違いなく出来ないと思います。

また思うのは、全ての出来事は繋がっているということです。
貧乏・貧困・両親・兄弟・考え方・恋人・家族。
どれか一つでもバランスを欠くと一気に状況が変わり、困難な状況に陥る可能性があるということです。

良くない親に生まれただけで、人生が難しい場合もあると思いますし、恋人にDVされても変わると思います。しかしそれでも家族や恋人等帰るところがあればまたやり直しが効くと思いますし、お金がとりあえずあれば再起が効くかもしれません。どうしたら上手くいくのかは私には分かりませんが、常に努力を怠らず、少しでも周りの人に優しくするということを心がけていますし、それくらいしか出来ないと思います。現在は、障害者や社会的弱者の方のためのしごとづくりを進めていますので、少しでも皆様のお役に立てればと思っています。

以上、皆様の益々の幸せを願っております。


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