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今後は発達障害者内でも格差が出てくる???

発達障害持ちといっても、人により状況は様々ですよね?
そんな状況についてざっくばらんな意見交換が有りましたので、コメントを一部紹介させてもらいます。

@兄は知的障害あるけど元気に働いてるし時給は高いし特にいうことはないんだけどね☆彡 

@ 普通は正さないといけない、と思いますからね  

@ なお,併存症として「知的障害を伴う自閉症スペクトラム障害」は,英文表記としてはautism spectrum disorder with accompanying intellectual impairment となるが,同じ論理で autism spectrum disorder with intellectual disability でよいのではないだろうか。

@ 「健常者に近いほどえらい・まともだ」という考え方が根底にあるのだとしたら、そういった「障害者内」の差別も「障害者への差別」に影響されているところが大きいのでしょうね。

@ 障害者権利運動の中でもまずスポットを浴びたのがCPだったってのも典型ですよね。 ただその弊害として「障害者」=「車椅子」という固定概念が生まれ、長らく知的や精神障害が正確に理解されない状況が続きました。今の流れだと発達障害もそうなってしまいそうですよね…。

@ それに関しては別に心配は要らないと思うラジ 職を得れる人が代表面をするのが発達障害者にとって一番困るでしょう 「この人らは食えるから支援は不要やね」と切り捨てられる可能性大なので  

@ 文章構成能力があり、文面でも会話も可能な、ある一定レベル以上の発達障害者の意見が認知されるのは、ある意味仕方ない事ですね。 しかし、知的障害や学習障害のある発達障害者も忘れてはいけないです。Twitterを見て、「発達障害」と自己紹介しても、ツイートから知的レベルの差が見受けられます。 

@ スティーブ・ジョブズやアインシュタインやエジソンが発達障害者だからと言って、彼ら基準で発達障害を語られても困りますし。 逆に、発達障害=知的障害・学習障害も、それは違う(あるケースも無いケースも、症状の重さも違う)わけで。 

@ パリス・ヒルトンやブリトニー・スピアーズやトム・クルーズみたいな人も発達障害者だけど、自宅から出れなかったり施設に入院してる障害者も、同じように精神障害があるとされるわけで、区別と障害の種類、症状の重さの違いは、世間に考慮されて欲しいところではあります。

@ 個性も社会性(という幻想)に支配された概念ですからね。 

@ 言語化できる発達障害、が言語化できない発達障害と同じくくりというのは解せませんね。知的障害を伴わない発達障害は果たして発達障害と言えるのか?となりますね 

@ いや「知的障害を伴わない発達障害」だけが発達障害になってしまって「知的障害だけで困ってるわけではない知的障害」の人の入る場所がまたなくなっちゃうんじゃないかと思ってるんですよ。 

@ それは切実です。登れない階段の上層ラインがその階段のみとみなされて下層が切り捨てでは階段自体の行き場なくなりますからね。

@ 発達障害対応の精神科デイケアを利用していました。知的な遅れのある発達障害の子を高学歴発達障害組は完全無視を決め込み、その他庶民派発達障害組は虐めるわ陰口叩くわで(涙目)自己主張が苦手な子を排除するその姿勢に愕然としました。障害者としてのつらさは平等なのに・・・

@「知的な遅れのある発達障害の子ども」 やっと見つけた。 ASD、ADHD、LD、そして知的障害が全部混ざってる子もいる。 特に知的障害について言及するTWは本当に少ない。 知的が軽度であるほど困難は二乗。

@「学校の勉強ができたために学校では問題がなく社会に出てから発達障害に気づいた」発達障害者が「発達障害者の典型」「発達障害者の代表」になってしまうことには知的な遅れのある発達障害の子どもの親として強い懸念があるけど,懸念してもそうなっちゃうと思う。彼らは自分の意見が言えるから。

@そして、後者(自分の意見が言えない、或は上手に言えない障害者)は士業のカモになりやすいでござるよなー。「自分の意見が言える障害者」と自分の意見が言えない,あるいは上手に言えない障害者との間には深くて暗い川があるよ。

@ 発達障害が「見えない障害」と呼ばれ身体障碍等と比べ理解されづらいと言われますが、知的障害があれば、触れた感じで障害があると感じられることが多いです。 意見を言わなければ障害があるとわかりづらい・意見が言える状態だからこそ却って障害があることが理解されずに苦しむ方もまた多いのです。

@強化や罰や条件づけの概念を使わないで「問題行動を叱るとかえって悪くなるしくみ」を説明するのはかなり面倒だと思うのラジよね。  

@これらの小さいニコンはOM-1やペンタックスM系の後追いだったのだけど「後追いだけに」とてもよく考えて作られているよいカメラ達ですね。  

@同じような意味で,治療論や治療技法としては歴史的意味だけを残すようになったとしても,精神分析がわれわれに与えてくれたイマジネーションの意義というのはなくならないと思うよ。 

@「われわれは自分の心の働きのほとんどを意識できていない」「異常と思われるような行動もその人なりの適応のあり方である」というのは今では常識だけど,フロイト以前には誰もきちんと言っていなかった。そしてこれらのイマジネーションは行動主義の心理学にも共有されている。 

@手帳で得られるメリットはむしろ経済的なことが中心よね。  NHKの科学番組など見るほうが悪いとずっと言ってきたが,科学番組以外もだいたい厳しい。民放と違って「まともそうな顔をしている」だけにタチが悪い。

@わざわざ見て怒るのもバカバカしいので,見ない。 築地と豊洲の問題なんかも「どっちが正しい」じゃなくて「どっちもひどい」としか感じないよね。 

@どっちもひどいものをどっちかが正しいと言わないと「日和見」とか「旗幟不鮮明」とか言われる,というのも学園紛争時代を彷彿とさせる。 

@「戦う人たち」はだいたい敵よりも「敵でも味方でもない人」を憎むのよね。

@「弱い者の間にある差別」に言及すると必ず「分断を煽るようなことを言うな,弱い者同士助け合っていかないと」みたいなことを言ってくる。そういうとこ,そういうとこだよ,という話。

以上


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